桜田門外の変と斎藤監物


斎藤監物

 静神社神官(一八二二〜一八六〇)名は一徳、号は文里。加倉井砂山や藤田東湖に学び、水戸藩徳川斉昭の藩政改革に協力した。弘化元年(一八四四)、斉昭が幕府から隠居謹慎の処罰を受けると、神官等を率いて雪冤運動に奔走した。安政五年(一八五八)、大老井伊直弼による安政の大獄が起こり、斉昭は再び謹慎を命じられた。監物ら水戸浪士は慎激し、井伊大老襲撃を計画して、万延元年(一八六〇)三月三日、桜田門外に井伊大老を襲撃した。監物は重傷をおして脇坂邸に訴状を呈し、細川邸に預けられたが三月八日歿した。三九歳。辞世「君がためつもるおもひも天つ日にとけてうれしき今朝の淡雪」
斎藤監物の墓碑

桜田門外の変